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      <title>S.T.A. なみだの分かちあいアジア</title>
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      <description>S.T.A.はアジアの難民、少数民族、売春と闘う人々の自立を支援しています。フェアトレードショップ、スタディツアーも開催。</description>
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         <title>分配</title>
         <description>旧正月も、二日である。この時期タイを旅してえらい目にあった。
中国系の人が大移動をして交通機関は総て満杯。
バンコクからチェンマイへの列車は、寝台が取れないで、座席で過ごした。
チェンマイ、バンコクを座席で過ごしたのはそれで2回目だった。
通信130号の続きを考える。
中国で、社会主義体制を改革しないまま、市場を開放した矛盾が、今露呈している。
中国を訪れたのは解放直後の、1982年だった。
まだ総ての人が人民服を着ていた時代であった。
発展途上国を公言していた中国は、確かにまだ貧しかった。
その貧しさの中でも地方は、更に貧しかった。
今の中国は、間接的にしか知りえないが、あの貧しいながらあった余裕みたいな物が感じられない。
一緒に行った名古屋の港区に住むお坊さんが、港に停泊中の、中国の船員に、国で何が不足しているか聞いた。
今でも信じられないが、消しゴムだということであった。
そのお坊さんは、消しゴムを大量に持っていった。
北京市内で、朝店を見て歩いた。一般消費財の値段を見るのが目的だった。
米屋で値段を見ていた時、そのお坊さんが店の主人に、自慢げに消しゴムを出してみせた。
「これはなんだと思うか？」みたいな会話の後、プレゼントだと店の主人に渡した。
彼は頑として受け取らなかった。小気味良かった。
このお坊さん、よってくる子供に「勉強しろよ。」とボールペンを渡していた。
その頃、中国でボールペンは多分高価な物であった。そんな物を理由もなくもらう子供たちのことを彼は全く考えていなかった。
彼は多分いいことをしているつもりだったのだろう。このお坊さんは、教団のトップに上り詰めた。
もう一つ同じ頃、名古屋の農協が中国に団体を出した。
それに参加したある組合長の話である。
道に迷ってホテルが分からなくなってしまった。困って道路で遊んでいた子供に、ホテルの名刺を渡して聞いた。
子供は親切にホテルまで案内してくれた。
彼は嬉しくて子供にお礼に50元渡した。
暫くたって、子供の親が、こんな大金をもらう理由がないと返しにきた。
「中国は実にいい国だ。」というのが、彼の感想であった。聞いてて恥ずかしくなった。
50元は、その頃の教師の月給の10％ぐらいであろうか。
私の旅行中も、万里の長城の八達嶺で、日本の観光客が民族衣装を着て馬に乗るだけで50元払っていたのを見た。札びらでほっぺたを叩く姿を想像した。
その当時は個人の旅行はまだ認められていなかった。
その頃の中国は外貨を稼ぐのに熱心であった。団体旅行の我々は、暇さえあれば友誼飯店，つまりお土産やさんに送り込まれた。
山西省の碑林という博物館で、やはり最後は友誼飯店に行くコースだった。
ばかばかしくて、外で子供と遊んだ。中国人が外から中の様子をのぞいた。中からカーテンが閉められた。友誼飯店で札びらを切る、日本人の姿を、同胞には見せられないのである。
お母さんが帰ってきて、子供は5歳で劉雁之だと教えてくれた。
彼女とは今でも文通が続いている。　　　　　　続く</description>
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         <pubDate>Mon, 15 Feb 2010 16:27:23 +0900</pubDate>
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         <title>STA通信130民ということ</title>
         <description>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2010年2月
　　　　　　　　　
　中国の｢08憲章｣の起草者の、劉暁波さんに対して昨年末
懲役11年の実刑判決が出た。
一党独裁を批判し、信教と言論の自由を求めると言う、当
り前のことを主張しただけなのだが。
中国政府に言わせれば、国内問題だということであろうが、
人権には国境はないというのは普遍的な理念である。
いかなる体制であろうとも、基本的人権は保障されなけれ
ばならない。
何故か中国におけるこうした人権抑圧に対しては、国際
的な批判の声が小さいと感じるのは、私だけだろうか。
対岸の火事と無視することは、自らの人権意識を貶めるこ
とにもなる。
共産党政権と言う体制を守るため、主権者たる民の自由を
封じるのは主客転倒もはなはだしい。
　映画「華氏911」でブッシュ政権を痛烈に批判した、マイ
ケル・ムーア監督は、資本主義と民主主義は正反対だと語
っている。主権者の民が、民衆として一からげにされて、
一人一人が見失われ時、そうなるのだと思う。
中国も、民を人民として一からげにし、主権者の個として
の人を見失い抑圧した時、社会主義の理念を失った。
イデオロギーではもう世界は救えない。
　　　　

































3月17日から27日までチェンマイを拠点に、ビルマ少数民族の、民主化運動を闘う人々や、買春と闘う女性達と交流してきます。

 



























　





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <pubDate>Mon, 15 Feb 2010 11:22:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>行った年来た年</title>
         <description>サザエさんに双子の名前が、いくとし、くるとしというのがあった。
年末は例によって、第九で終わった。昨年のN響は、クルト・マズアが振った。
彼は、ゲバントハウスを引き連れてきた時名古屋で聞いた。
彼はベルリンの壁崩壊で一躍有名になった。その前にも既に有名ではあったが。
ゲバントハウスは、チャイコフスキーの6番だった。彼の場合は、今回の第九のような曲がいい。
ソ連の崩壊から、ベルリンの壁崩壊まで、まさかと言う出来事だった。
今資本主義の限界が見えてきて、究極の価値観と言うものが見えなくなった。
ぶっ飛んだ議論と言われるかもしれないが、総ての人がそこそこ生きていく為には、仏陀の欲望を切り捨てる生き方しかないのだと思う。
程ほどの競争を認め、程ほどの格差を認めた結果が、今の状況なのだ。
欲望を認めなければ進歩はないとも言われた。進歩とはこれまた曖昧な概念である。
進歩と言うもののために得た果実があるかもしれないが、また失った物も多い。
ベルリンの壁の次に打ち壊す物は？
変な話になってしまった。
2009年は、ドラえもんの後クラシックを聞きながら越した。紅白はもう何年も見ていない。
元日は今年も久と桂そして千と過ごした。
夜は、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート。今年はフランス人の名前は忘れたベテランの指揮者だった。一昨年この楽友協会で聞いたウィンナワルツのことが蘇った。やはりその地で聞くワルツは格別だった。
さて今年はどうなるだろう。周りが危機感ばかり煽るが、それには載せられまい。
京都で学生生活を送っていたとき、名古屋の友人から手紙が来た。
大学で哲学をやりたいのに、親に反対されていると言う内容だった。
その中に「人間一人餓死するには、相当時間がかかるものです。」と書かれていた。
結局彼は、教育大に入って先生になった。今彼の飄々とした生き方を思う。
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         <pubDate>Wed, 20 Jan 2010 15:02:07 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>STA通信129 ここでも政権交代</title>
         <description>　　　　　　　　　　　2010年1月
　　　　　　　　　　　あけましておめでとうございます。　
　暗いニュースが多い中で、毎年1月は明るいニュース
をと思っている。
　バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯では、50年以上
にわたって、ベンガル人イスラム教徒による、強制入植
が続いた。それはチャクマなど先住民の、虐殺、レイプ
焼討ち等あらゆる暴力を伴った。1986年単身潜入したが、
そこは軍事要塞と化していた。
　1997年11月バングラ政府と、抵抗組織シャンテｲバヒ
ニとの停戦交渉が成立した。然し、衣食住や、安全の保障
という約束は全く履行されなかった。
　一昨年の総選挙で、先住民の代表も入る、アワミリーグ
が、政権に着き流れが変わりました。駐留軍の一部の撤退も始まったようです。
昨年8月にボデイチャリヤを訪れた時、インドに亡命しているビマル師は、チッタゴンのランガマテｲに100歳の母親を訪ねると出かけて行きました。暗殺リストのNO.1にあげられていた過去もあって、心配しましたが、無事に帰ってきてお土産までもらいました。12月24日ずけの朝日新聞にも4段抜きで、｢紛争地に和平の兆し｣という記事が載っていました。和平が恒久的に続いて、難民としてインドで学ぶ若者達が、故郷に帰られることを願って止みません。



























　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <pubDate>Tue, 19 Jan 2010 15:21:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>分かちあいの旅　タイ’10</title>
         <description>　　　　　　　　　　　　　STAスタデｲツアー

　こうも不況不況と聞かされると、正直言ってこのお誘いの文句を考えるのに考えてしまいます。
　でも今年も、チェンマイを拠点に、タイとビルマの国境地帯に生きる人々と、体験を分かちあってきたいと思います。
内戦、民族、国境、ツーリズムなどのキーワードから見えてくる人々の生き様は、私達にもう一つの価値観を示してくれるように思います。
　現場でしか見えてこないもの、それに出会ってください。


日程　　　　　3月19日ぐらいから10日間
参加費　　　　125,000円（渡航費、タイ国内　宿泊、交通、食費、支援の一部）
　　　　　　　なおサーチャージが下がった場合は、それだけ安くなります。
定員　　　　　5人ほど
締め切り　　　1月末日


訪問先予定　　　　　トンデイさん　売春と闘う農村婦人
　　　　　　　　　　WEAVE　　　ビルマ少数民族の女性・子供支援組織
　　　　　　　　　　NEED　　　　環境問題からビルマの民主化を求める、少数民族の若者組織
　　　　　　　　　　PPLO　　　　ビルマの民主化を求める少数民族パオの組織
　　　　　　　　　　EMPOWER　性産業で働く女性支援組織
　　　　　　　　　　ビルマ少数民族ワの軍事キャンプにも入る予定です。

　　　　　ゲストハウスに滞在し、難民キャンプに泊まったりします。
　　　　　食事は、市場で買ってきた物を分かち合うと言うけちけち
　　　　　旅行です。







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         <pubDate>Wed, 13 Jan 2010 15:45:29 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>STA通信128日本とアメリカ本当に対等？</title>
         <description>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2009年12月
　普天間基地の問題で、辺野古への移設のアメリカとの合意案に難色を示す日本に、アメリカとの合意を取るか、社民党との連立を取るかという二者択一を迫る声が聞こえてくる。
チェンジがキーワードのオバマ政権も、前ブッシュ政権と変わらないなと思う。
問題は合意か連立かということではない。沖縄に未だ負担を強いるのかどうかと言う問題なのだ。そしてそれは日本の新しい政権が、国民にどう向き合うかという問題である。
沖縄の人々は、薩摩の武力による併合以来、歴史の中で翻弄されてきた。基地問題は、人権問題である。
アメリカは、前政権との辺野古への合意案がベストだと言う。それはアメリカにとってのベストなのであって、日本にとってのベストではない。アメリカの高官がみんなベストだと、口調を一本調子にそろえるのは、日本にとってはプレッシャーになる。
知日派と言われるグリーン氏やアーミテイージ氏等も、都内でシンポジュームを開いて、辺野古への移設の履行を唱えた。イラク戦争で、旗を示せとか、ブーツでグラウンドに立てと、日本に迫った人々である。
知日派と言うのは、日本の立場を理解している人という解釈なのだが、決して日本の立場に立つ人たちではない。そこを間違えてはいけない。このシンポジュームも、日本に圧力をかける意図がまる見えである。
　日本の政権が、国民である沖縄の人々の立場で考えるのは当然のことである。アメリカが、自国の国益を考えるのと同じように。
アメリカは、基地を通して日本を守ってやっているのだと言う。然し、アメリカが守っているのは､アメリカであって、決して日本ではない。地勢的に考えれば、日本はアメリカ本土にとって潜在的脅威になる、ロシアや中国そして北朝鮮の盾にあたるのである。日本は不沈空母だと言った総理大臣がいた。空母は本土を守るための前線基地である。その守るべき本土は、日本のことではないことは確かである。　　　　　
沖縄から、ヴェナムへ、アフガニスタンへそしてイラクへとアメリカの戦闘機が飛び立っていった。それは日本を守るためではなく、アメリカの都合だったのではないか。
お金をかけずに、アメリカの税金で日本を守ってやっていると言う、安保只乗り論というのがある。
だが日本では、思いやり予算と言うわけの分からない国税が、アメリカ軍の家族の光熱費から、ゴルフ代まで30年以上にわたって払われているのである。ただ乗りと言われても戸惑う。
メデｲアの報道も、｢あーあ、アメリカを怒らしちゃった、どうする。｣というものばかり。
日本の世論も、傍観を決め込んでいるようだ。アメリカの顔色を伺わず、沖縄の立場に立った負担軽減策の声を、もっと高めていかなければならない。
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         <pubDate>Wed, 13 Jan 2010 15:40:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日米関係は対等か？</title>
         <description>　　　　　
　またかという失望感に駆られる。普天間の移設問題である。
アメリカのブッシュ前政権は、白か黒か、敵か見方かという二者択一を迫った。
普天間問題でも、チェンジを唱えて政権に着いた、オバマのアメリカから同盟関係を選ぶか、政権の連立を選ぶかと迫られているという報道があった。肝心な問題がすりかえられていると思わざるを得ない。
解決しなくてはならないのは、同盟か連立かの二者択一ではない。沖縄の危険と負担を如何に減らすかということである。
普天間移設問題も、少女暴行事件を契機に盛り上がった、沖縄県民のみならず、多くの本土の民の批判があって、アメリカ軍は初めて重い腰を上げたのであった。
アメリカの政権が、アメリカ国民を守るのを第一と考えるように、日本の政権も日本の国民を守るのを第一と考えるのは当然である。
特に沖縄は、薩摩藩の武力による併合以来、太平洋戦争を含め戦後も数々の苦難を強いられてきた。過度の負担を強いられている今の基地の状況を変えるのは、日本国民の使命でもある。
アメリカ軍は、日本の安全を守っているのだといわれる。然しアメリカが守っているのは日本ではなく、アメリカだと思う。
ヴェトナム戦争や湾岸戦争そしてアフガンやイラクでも、沖縄から戦闘機が飛び立っていった。それは日本を守るためではない。アメリカの戦略の都合で、日本の土地が使われているのである。
日本は不沈空母だと言った首相がいた。空母は本土を守るための戦艦である。守るべき本土とは、日本ではないことは確かである。
ブーツでグランドに立てとか、旗を示せと日本に迫った人々が、日本でセミナーを開いて合意案を守るよう鳩山政権に圧力をかけているようだ。
オバマ政権の性急な辺野古への移設要求は、とても対等関係の国の振る舞いとは考えられない。
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         <pubDate>Tue, 15 Dec 2009 14:13:21 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>STA通信127 犠牲</title>
         <description>　　　　　　　　　　　2009年11月
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　犠牲　　
ご支援を送っていただいた方の手紙に、「私たちの今の生生活は、多くの犠牲の上に成り立っているのだから、何かせんとあかんのですよね。」とあった。
数年前、タイのチェンライのアカ族の山の村に滞在した。朝になると、各家から収穫したヤングコーンが、集荷場に集まった。日本に輸出されるのだと聞いた。車をチャーターしてたどり着いた、人里離れたこんな山奥からと驚いた。日本のチェックは厳しく、数センチの大きさでも規格外でとって貰えない。
　アカの人々は、もともと自給自足で、不自由のない生活を送っていた。誰が持ち込んだのか、いつの間にか市場経済に組み込まれてしまったのだ。
　私達の嗜好品のコーヒー、チョコレート、ピーナッツなどは、アフリカの人々の食料を育てる土地を奪って育てられている。80年代アフリカが飢餓に陥った時でも、こうした産物は輸出されていた。
　戦没者の追悼式典で、「尊い犠牲があって、今の繁栄があります。」と言う言葉をよく聞く。今の状況を繁栄と無批判に言うのも気にかかるが、その為には、犠牲が必要だと聞こえるその言葉に、何時も背筋が寒くなる。
確かに、犠牲なくしては、私達は生きていけないのだが・・・。



















　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <pubDate>Tue, 08 Dec 2009 16:49:49 +0900</pubDate>
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         <title>12月8日と言う日</title>
         <description>毎年この日には、あちこちと思いをめぐらす。
68年前の今暁、日本は連合国相手に、戦争の道に突き進んだ。
今日の天声人語に、｢戦争の悲惨さ」や｢平和の大切さ」と言う言葉が空疎に響くようになったという話が載っていた。
確かに私も、その言葉で終わってしまって、その先が無くなってていると言う気がしていた。
若いお坊さんのグループが、サイパンに行った経験を話すのを聞いた。
戦局が悪化して、追い詰められた日本人は、岬の断崖から集団で飛び降りて自決した。
戦争は誠に悲惨であると言う話だったが、その後に、日本軍は少ない戦力で、圧倒的な連合国に対して、果敢に戦ったと言う話になってしまった。２０代が中心のグループであった。
何故悲惨なことが起こったか、だからどうすると言う話しにはならなかったのである。
｢平和｣と言う言葉も、抽象的で分かりにくい。その意味を構築していく努力がないと、それは空疎なものになってしまう。
唯平和を阻害する概念は、可なり具体的である。独裁、差別、貧困、などなど。それを一つ一つつぶしていくのが、平和に至る最も具体的な道なのだと思っている。
今日はまた日本だけかもしれないが、仏陀が悟りを開いた日とされている。
成道会（じょうどうえ）という。
悟りを得ようと、五人の仲間と苦行に励んだ仏陀は、それが何にもならないと悟った。
村娘スジャータの差し出すヨーグルトで、憔悴しきった身体を癒した仏陀は、ブッダガヤの菩提樹の木陰で瞑想に入る。七日目の１２月８日明けの明星とともに悟った。というのが伝説である。
悟った内容は四諦、八正道だといわれている。
人生は苦だと認識し、そのよって来る所を知り、それを滅して、正しい生き方をすればよいというのが簡単な意味である。
人生は苦であるが、佛教には苦楽一如という言葉もある。
悟れない私は、苦の中で生き、苦の中で死んでいくのだなと思っている。それはそれで現実的でいいかな。
今日はまた、ジョンレノンが、凶弾に倒れた日でもある。
そのニュースは、インドからの帰りに、バンコクの新聞で知った。
熱烈なフアンではなかったが、彼の活動は私のやっていることと重なることもあって、深い喪失感を味わった。イマジンは、般若心経だと思ったことがある。
短絡的で軽率な一人の行動が、大きな可能性を奪ってしまうことには、深い怒りを覚える。
キリスト者らが集まる、12・8の集会で、フィリッピンの留学生が声明を読み上げ、その後でたどたどしい日本語で「日本は戦争中、アジアで銃で得られなかった物を。今、経済で得ています。」と語ったことが忘れられない。
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         <pubDate>Tue, 08 Dec 2009 15:17:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>障害者</title>
         <description>前々から気になっていたが、今は障がい者と書く様だ。昨日の朝日の夕刊では、障碍という字を普及させる活動をしている人がでていた。
障害は意味からすると、さわりがあってよくないということである。体の機能の一部にさわりがあって、充分に動けないと理解するのだろう。しかし、健常者にとっての障害と意地悪く解釈する人もないとは限らない。
そもそも「しょうがい」と言う言葉にこだわる必要はないと思う。碍でもさわりと言う意味で、積極的な意味はない。英語ではdisable(出来ないと約すのだろうか？)と言う。最近ではcharengedというようである。
直訳では「挑戦させられた」人とでも言ったらいいのか。
障害に代わる言葉を募集しているという記事をチラッと見た覚えはある。
ありったけのボキャブラリーを駆使して考えたが、なかなか思いつかない。
積極的な意味を持たせようとすると、わざとらしい言葉になるし。
誰でも年を取ればいずれは障害を持つのだから、自分の問題でもある。
私にとっては喫けいの問題だ。
人間誰しも独りでは生きられないという意味で、共生者などとも考えたが、どうもしっくりいかない。
どうも当分このことが気がかりになりそうだ。</description>
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         <pubDate>Fri, 04 Dec 2009 15:01:52 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>五目庵オープンの日</title>
         <description>　　　　　　　　　　　　　　STAフエアートレードDec..’ 09
   
円高で、ガソリンやワインが安くならないかなと、不謹慎なことを考えるこの頃です。
温暖化対策には、部屋など環境をあっためるのではなく、あったかいものを着ればいいと思いませんか？
今回は、蒲郡を拠点に、フェアートレードの理念を忠実に実践して見える、「ワンラブ」の竹内たかねさんとのコラボレージョンです。
環境にも優しい、STAフェアートレードにお出かけ下さい。



　　　　今回は、ショールを色とりどり取り揃えました。
　　　　インド　　　カシミールの100％パシュミナ(多分百貨店の半値以下)
　　　　タイ　　　　草木染手織りのシルク(気品があります)
　　　　チベット　　ウール(ダージリンの難民自助センター)暖かく手触りが優しい
　　　　その他、ラオスの山繭ショール、タイのコットンショールなど。
　　　　
　　　　　　　　　
　　　　　　　　12月13日（日）11：00am～4：00pm
        於　五目庵　豊橋市東光町１１３－１tel 0532―63―1048

　　　　












　
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         <pubDate>Wed, 02 Dec 2009 15:37:05 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>明日は久しぶりのﾌｫｰﾗﾑ</title>
         <description>明日は６：００ｐｍから土井宏江さんが、８月に行ってきたビルマについて話します。
彼女のリクエストで今タイカレーを作っています。
序にフェアートレードもやってます。といってもみんなと話すのが楽しくて、誰も見ませんが。
久しぶりのフェアートレードは、１２月１３日11：00aｍよりたかねさんのワンラブと一緒にやる予定です。</description>
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         <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 15:19:22 +0900</pubDate>
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         <title>STAフォラム66</title>
         <description>11月21日(土）　6：00ｐｍ～10：00pm
｢ビルマに行ってきました。」　ゲスト土井宏江さん
時間があったらりゅうのインド報告’09
アメリカがビルマに対して、対話路線に舵を切ってきました。
制裁一辺倒で、なかなか進展が見られないので痺れを切らしたというところでしょうか。
それで今後どう動くか予断を許しません。スーチーさんと軍事政権の対話もあったようです。
国境地帯では、却って戦闘が激化しているようです。
そんなことを勘案すると、現状は決して好転しているとは思えません。
宏江さんが新しいビルマの風を持ってきてくれました。
インドの報告はかなり時間がかかりますが・・・・。</description>
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         <pubDate>Fri, 13 Nov 2009 14:43:53 +0900</pubDate>
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         <title>とよはしインターナショナルフェステイバル’09</title>
         <description>豊橋インターナショナルフェスタ
11月15日(日）10：00aｍ～4:00pm
今年はココ二コ(豊橋子供未来館）であります。
暇をもてあましている人手伝ってください。</description>
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         <pubDate>Fri, 13 Nov 2009 14:33:20 +0900</pubDate>
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         <title>アジアの人権問題12</title>
         <description>　　　　　　　　　　　　アジアの人権問題13
　10回にわたって、バングラデシュの東部チッタゴン丘陵地帯で、今も尚止まない深刻な人権抑圧の現状を伝えてきた。　
チッタゴンに関するこうした記事が、総合的にこうしてメデイアで取り上げられたのは、
おそらく初めてのことではないか。

コックスバザールのお寺の多くが、べンガル人イスラム教徒の入植者が建てた新しい家に包囲されてしまっていた。仏教徒である先住民ラカインたちは、参詣することが出来ないで、寺は荒れるにまかせていた。それは先回書いた。
コックスバザールの小高い丘に、ビルマ式の白いパゴダが建つている。パゴダは本来ブッダの遺骨を埋葬した上に建てたものとされている。中国を経て日本に来ると、それは五重塔になる。いわば仏教徒にとっては、ブッダの象徴である。パゴダの丘に連れて行ってもらった。丘の周辺の斜面は、びっしりとベンガル人イスラム教徒の家が立ち並んでいた。
丘を切り崩してさらに家が建設途上であった。
状況を具に見る為に、一人裏に回ってみた。数人のベンガル人の若者が、たむろして厳しい目つきで、こちらを伺っていた。ジャラスたちが慌てて飛んできた。「一人になると彼らは、襲ってくる。気をつけろ。」　　　
そうだ私は今チャクマなのだ。どこかで、自分は日本人なのだから安全だと思っていたのだ。それが実は大きな落とし穴になる。危うく私もその穴に落ち込む所であった。
確かに日本人だと言うことで助かった経験はある。インドの北ベンガルのシリグリから、ノービザでブータンに入った。ホテルの前で写真を撮っていたら、一人のブータン人が警官を連れてきた。私は危うく拘束されそうになった。どうやら私はネパール人に間違えられたようであった。
ブータンではネパール人が経済的実権を握っていて、ブータンでありながら、ブータン人はネパール人に管理される立場にあった。そんなネパール人はブータンでは嫌われ者なのだ。国境で写真を撮っているネパール人は、ブータンの人にとっては、危険な存在なのであった。
慌ててホテルに駆け込んで、日本人であることを証明してもらって危機は脱した。
日本人であることが救いになるか、或いは危機を招くかは、国や地域によって、そして政治情勢で変わってくる。
アフガニスタンで、草の根支援に長く取り組んでいる､ペシャワール会の中村哲さんが、「以前は日本人であることで安全でした。しかし日本がアメリカのアフガン攻撃の支援をするようになって、日本人が標的になる傾向にあります。」と悔しそうに語ってみえた。
悲しいことにその不安が現実になってしまった。ペシャワール会の伊藤和也さんが、アフガンで凶弾に倒れたことは、いまだ記憶に生々しい。
政治的選択が、草の根レベルで支援活動をする人々を危機に陥れることをもっと真剣に考えなければならない。
もう一つ海外では、日本人は総て金持ちであると考えられている。それが危機を招くこともある。20年ほど前の話になるが、友人のタイ人に、タイでは日本円の3000円ほどで殺人を請け負う人がいると聞いた。それを考えれば、タイを旅する日本人は、格好の標的と言える。脇の甘い日本人は、特に注意が必要だと彼は言った。
わき道にそれてしまったが、チャクマになって潜入した筈が、未だチャクマの危機感を身体で充分に理解していなかった自分を恥じた。
ベンガル人に周囲を包囲されて、機能を失ったお寺が多い中で、コックスバザールで有名な古寺は、参詣客でにぎわっていた。
ラカインのコミュニテｲで資金を出し合って、寺の周囲の土地を買い戻したのだそうだ。もともと寺の土地だったのだから、買い戻すと言うのもおかしな話だが、お金と土地を交換したと言う事実があれば、ベンガルイスラムも何もいえない。
その裏には、イスラム教徒ゆえにもつ弱点をつく戦略があった。
コックスバザールでも、表通りの商店街はベンガル人イスラム教徒に占拠されてしまっていた。しかしイスラム教徒は、女性が店に立つことは禁じられている。
ラカインが共同で出資して、店を一軒買い戻した。その店では女性が店員として店頭に立った。毛むくじゃらのむくつけき髭の男性の店より、着飾った女性の店のほうが当然客の出入りが多い。そんな風で、一軒一軒店を増やしていった。それで寺の土地を買い戻すことができたと言うのである。
確かに風采の上がらぬ髭ずらの男の店は閑散としていた。それに引き換え、ラカインの店は、華やかな雰囲気で自然にそちらに足が向く。コックスバザールは女性のソフトパワーで、暴力のイスラムベンガル人を凌駕するかもしれない。チッタゴンを変えるのは女性かもしれない。1984年インドのナグプールで、不可触民の仏教徒の1万人を越すデモに参加したときもそう思った。このインドを変えるのは、女性かもしれない。
どこを見回しても、男性中心の世界ばかりである。人口の半分を占める女性が第一線に立った時、世界は変わるのかもしれない。そんなことを考えてしまった。
その寺には、華やかなサリー姿の女性達もお参りに来ていた。ベンガル人の仏教徒達であった。赤や青の鮮やかなサリーを風になびかせて参道を歩く女性達、チッタゴン高原の先住民の地味な民族衣装を見慣れた私には、全く別世界に見えた。もともとベンガル地方は仏教徒の多い地域であった。イスラム国家になった今は、殆ど破壊されてしまったが、ベンガル地方には仏教遺跡がまだ多く眠っている。
ベンガル人を含めて、地域住民に護られているお寺もあった。チェルダー姿の若い女の子が、熱心にお参りする姿が心に焼きついた。コックスバザールの場合は、立派な伽藍は却って標的になるようだ。小さな民衆の中で息ずくようなお寺が生き残っていると感じた。
この日チッタゴンで、学生のリーダーがベンガル人イスラム教徒の入植者に殺害されたというニュースが入ってきた。
翌日チッタゴン全域は、抗議のゼネストに入るという。確かに夕暮れの町は、異常な静けさに包まれていた。ゼネストに入ったら、潜入している私の安全は保障されない。と言うことで、急遽その夜の内にチッタゴンを逃げ出すことになった。
戻ったダッカで、翌日クリスチャンと仏教徒そしてイスラム教徒の知識人が集められて、報告集会を持った。二人のジャーナリストも参加していた。
「これだけあからさまな人権抑圧がありながら、情報が全く伝わっていない。ジャーナリズムの責任は大きい。」と言う私の問いかけに彼らは、「構造的な問題がある。社会構造を変革しなければ、ジャーナリズムの責任を果たすことは難しい。」と答えた。
バングラデシュのジャーナリズムも、実はチッタゴンの状況は、把握していたのだ。
バングラデシュの農村の自立支援をしているシャプラニールの知人は、「バングラデシュは日本で言えば鎌倉時代の感覚です。首相が部下の奥さんを自分のものにするために、部下を左遷するなどと言うことが現実におかなわれています。」
鎌倉時代というのは一寸問題発言かなと思うが、独裁国家と言うのは、軍事でも一党でも言論の締め付けが重要な戦略として用いられる。
そうした構造を変革するのも、ジャーナリズムの使命のもっとも大切な部分だと考える。
しかし権力に抗えば、その存続さえ危ぶまれるとなれば、言わなければならないこともいえなくなるのは理解できる。
私のようになんでも自由に言える立場のもの達が、積極的に発言していかなければと思う。






　


















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         <pubDate>Fri, 06 Nov 2009 20:16:13 +0900</pubDate>
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