S.T.A.規約

今年のインド

8月31日朝帰国。今年のインドは体調は万全で、参加者の大須賀さんが風邪をひき、インド人のショポンも風邪で下痢をするのを横目に、余裕の旅であった。
しかし一転して、9月1日新型インフルエンザを発症して、おまけに風邪まで併発して、2週間で漸く普通の疲れに戻った。世の中実に公平にできているものだ。
さて、今年のインドは、ミアビハの学校で大きな進展があった。
1989年学校が始まった頃は、村人総出で私達を歓迎してくれた。
しかし、学校を機に出来た村のコミテイーは、村長のハグー一族に握られてしまった。
学校の支援で集まった基金も、密室で処理されるようになった。
一昨年の会計報告を見て、コミテイーメンバーの会計担当が、学校のマネージャーと言うことで、お手盛りで給料を取っていることがわかった。
村人の中心にいた人々も、コミテイーメンバーから去っていった。村長のハグーにとっては誠に都合の良いことであった。しかし村は完全に2分されてしまった。
私が来ると言う情報も、村長側だけに伝えられて、他の村人には伝えられなくなっていた。
私は、来なくなった村人を訪ねまわって、話を聞き出した。
そして、2002年村人の全体集会を開くことを求めた。丁度スタデイツアーに、7人の若者が参加していていい機会だと思った。
学校が始まった時から、影に日向に協力してくれていた、大乗教のスーバさんにも出席を頼んだ。
集会の始まる午前6時きっかりにスーバさんは来てくれた。しかし、村長のハグーが酔っ払って視点も定まらないのを見て怒って帰ってしまった。
1時間ほど遅れて、集会は始まった。女性の参加も多く、その女性の中から、「誰もハグーを村長に選んだ事実はない。一度選挙をするべきだ。」という勇気ある意見が出た。
ハグーは、「いいや今後も私がやる。」と言う理不尽な発言で誰も表立って反対はしなかった。
結局うやむやの内に集会は終わった。そして何も変わらなかった。
スーバさんの甥のアジャイが、先生として学校に入ってくれた。おかげで学校の情報が入るようになった。しかし彼には、若さもあって、村のことには一切口出しは出来なかった。
2007年ブッダガヤの女性評議員にハグーの奥さんが立候補したが、ミアビハの学校の卒業生ランデップ・クマールの奥さんが当選した。表面的には女性が評議員として認められるのだが,実際はその夫が実務を引き受けることになる。ランデップは子供の頃から統率力があり、頭のいい子だった。何かやってくれると思った。「村を変えるよ。」と握手をすると、「必ず変えます。」と力強よく握り返してくれた。
今年村を訪れたが、何も変わっていなかった。彼は任期中、何もしなかったのだという。
スーバさんが急死して、アジャイにその代わりをしてもらおうと思ったが、それは無理だった。
ただ、もう一度村人の集会を開いたらどうかという提案をもらった。
村人の集会が開かれたが、ハグーの息のかかったものを中心に、30人ほどしか集まらなかった。村には約200件の家族が住む。
ただ、敢えて若い人に私が発言を求めたのに応じて、卒業生の一人から「一軒に毎月20ルピー(今のレートで40円)ずつ集めて学校の基金にしよう。」と言う意見が出た。そしてその場で趣意書がノートに書かれ、署名が回り出した。村人が自立して、自分達で学校を運営していくと言う初めから語っていたことが、20年目にして図らずも第一歩を踏み出した瞬間だった。

S.T.A. なみだの分かちあいアジア 規約

世界の半分が飢えている今、日本に生きる私達はあり余る物の中で、精神的に溺れかけようとしています。多くの人々がその矛盾に気付き、支援に目を向け始めました。しかし、支援という発想では飢え等、貧困の問題は解決しません。なぜなら支援というのは、持った者が持たないものへという発想で成り立ちます。それは第一に、支援する者、される者という関係が出来上がり、それを固定化させます。そして第二に、持った者という充足感を持つことはとても困難なことです。欲望には際限がありません。
 
私たちは、分かちあいこそが、アジアの人々の苦悩を解決する一つの手段だと考えます。知識ある者は知識を、技術ある者は技術を、笑いを歌を。そして持てる者は持てるように持たない者は持たないなりに、今ある物を分かちあうことが解決方法の一つだと思います。そして、分かちあいにも二つあると思います。
 
一つは喜びの分かちあい。学校を建てる、病院を建てる、そして井戸を掘る。これ等を喜びの分かちあいとします。ではなぜ、私たちが学校を建て、井戸を掘らなければならないのでしょう。本来それは、その国の人々がやることなのです。しかし、その国の人々ができない原因があります。それは内戦であり、貧困であり、差別等です。その原因を解決しなければ、私たちが半永久的に学校を建てたり、井戸を掘らなければなりません。私たちはそうした根本原因である悲しみを分かちあうことが、最も大切だと考えます。そして、悲しみはなみだに象徴されます。なみだは、喜びのなみだもあります。”アジアの人々となみだを分かちあおう”それが私たちの願いです。