沖縄のことをもっと
一寸タイミングを逸してしまったが、沖縄のことは矢張り黙ってはいられない。
久間防衛大臣が、失言(本音)で辞任した。多分選挙前でなかったら、辞任はなかったかもしれない。総て政権の都合が優先される。「原爆投下も仕方がなかった」と言う言葉は、誤解でかたずけられるものではない。原爆の業火で焼き殺された人々の言葉は、直接聞くことは出来ない。しかし人類はそれを聞かなければならない。聞こうとしなければならない。彼はそれを聴く気が全くない。でなければ、そんな言葉が不用意にでもでることはない。
彼は沖縄でも恐ろしいことをしでかした。
辺野古崎の環境現況調査に、自衛隊の掃海艇を出動させたのである。そのことが意味するものを私たちはもっと真剣に考えなければならない。
バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯に、潜入した時、同行してくれた友人の神父がこんなことを言っていた。「この国が何故軍隊を持っているのか?敵はどこにいるのか?もし隣のインドが敵なら、戦争になったとして、おそらく30分で決着は付くであろう。軍隊の銃口はインドを向いてはいない。それは国内を向いているのだ。」
ダッカに入ると、誰を威嚇するのか、戦車や戦闘機がこれ見よがしに街中に陳列(?)されている。確か軍事政権ではなかったのにと不思議に思った。あれは国民に対する示威行為だったのだ。
そんなことから、久間氏が沖縄でしたことの意味が見えてくる。あの場合自衛隊は勿論、掃海艇が出てくる意味は全くないのである。ところが軍隊(小泉氏の言う)が出てきたのである。
そこで軍隊であるが
今年の教科書検定で、沖縄の集団自決の、軍隊の強制という部分が削られた。首相は従軍慰安婦の軍隊による強制もなかったと世界に向かって強調した。
何故そうまでして軍隊の罪をかばい続けるのであろう。
彼は学術的にそうだからということを強調している。しかし学術的と言うのはどこの学術なのか?学術的と言うのは、絶対ではない。それは机の上の結論でしかない。学問は総て仮説の上に成り立っている。仮説の上に成り立つ定説というのは、これまた相対的なもので真実ではないし事実でもない。
体験者の証言が学術の名の前に葬り去られるのはどう考えてもおかしい。
死を迫られた住民の怒りを無視してまで軍隊の正当性を守って、その先に一体なにがあるのであろうか?
軍隊に殺されたと言う住民の証言も、言えない雰囲気を国のトップが作るとしたらそれはもう犯罪である。軍隊はもともと暴力集団であると言う学術的前提にたってもう一度考え直してもらいたいものである。軍隊が間違いを起こさなかったとしたら、残留孤児がいるバックグラウンドも語ることが難しくなってしまうのではないか。
軍隊の強制がなければ、集団自決はなかったであろうし、軍隊が沖縄県民を教育していなかったら、これほどの犠牲者は出ていなかったのは学術的に正しいと思うのだが。どうですか安倍さん。
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