りゅう's words

りゅう・チャクマ(S.T.A.代表)が感じたこと、考えたことを自由に書いています。みなさんのコメントをお待ちしています。

金融危機

今日とうとう株価が8000円を割ったというニュースが流れた。
円はドルに対して95円まで上がった。インドやタイにいく場合はたいへんありがたい。
STAのビジネスにとってはチャンスである。今タイに行って商品を仕入れればいいのだ。
しかし事はそう簡単ではない。世界的同時不況で、生活は窮屈になってくる。もともと窮屈なので、いまさらと言う感じではあるが。
ただ、もう一つのチャンスだとも思う。
経済は大切ではあるがそれが総てではない。こういう時だからこそ、もっと他の価値に目を向ける機会ではないか。
東大の岩井克人教授が「資本主義は本質的に不安定である。」と書いていた。「貨幣それ自体が純粋な投機である。」と。
お金は単なる紙に過ぎないし、金属片に過ぎない。みんながそれに価値を認めるから、価値が生まれるのである。
と言うことは経済の基礎は、人間の信頼関係である。実体経済などという言葉が氾濫しているが、お金という実体のないものに実体を見るのはおかしい。
実体経済とは本来基本になる人間関係を考えることではないか。
こういう機会にお金を交えないところで人間関係を考えていったらどうだろうか。

伊藤和也さんの願い

10月の通信にも書いたので、重複になるが、どうしても余裕あるスペースで書いておきたい。
今まで視座ということを言い続けてきた。どういう視座に立って行動するかが、大事だと思う。
アフガニスタンで拉致され、殺害された伊藤さんの活動を語る場合、その視座について語られることがあまりないように思う。
結論から先に言うと、彼はアフガニスタンで苦しむ民衆の視点に立って活動していた。
そういった意味で彼の活動は支援とか援助と言う言葉では、語ることが出来ないと思う。
彼とアフガニスタンの人々の関係は、支援とか援助をする側と援助される側と言う関係を超えている。
支援とか援助はする側とされる側という上下関係を作ってしまう。
アフガニスタンの子供たちが充分に食べられるようにと言う彼の願いは、援助をする側の願いではない。アフガンに暮らす人々の願いであった。
1999年ごろ外務省のODA関係の役人とNGOの代表の会合があった。
そこで議論されたのは、援助物資には日の丸をつけて、国益に資するようにするべきだというようなことだったと小さな記事は伝えていた。援助は、日本の国連の安保理常任国入りを利するように戦略的にするべきだというのであった。記事からはNGOの代表たちがそれを容認するような雰囲気が伝わった。
全く、私は怒り心頭だった。日本に利益がなかったら、どんなに飢えていたって援助はしないよと言うようなものである。日の丸などは何の腹の足しにもならない。
伊藤さんは日の丸を背負ってはいなかった。日本の国益とも無関係であった。
彼の所属するペシャワール会は、国のODA等公的な支援は受けていない。総てが一般の寄付で運営されている。中村哲さんの基本姿勢が貫かれている。
同じような組織が日進市のAHIアジア保険研修所である。一時国のODAを貰うかと言う話しがあった。しかし当時の事務局長池住義憲さんが、職を賭して抵抗して沙汰やみになった。
中村さんにも池住さんにも国のODAに対する不信感があったと思う。
中村哲さんが「9,11の前は、日本はアフガニスタンで信頼されていて安全でした。アメリカのアフガン攻撃を日本が支援するようになって、日の丸が標的になるようになりました。」と悔しそうに語ってみえた。
その心配が現実のものになってしまった。ペシャワール会のような活動が長年かかって培った信頼関係を、政府の場当たり的な政策が、いとも簡単に踏みつぶしてしまった。
アメリカの歓心を買う為に、アフガニスタンの民衆の信頼を犠牲にしてしまったのである。その信頼も政府がきずいたものではない。民間組織がこつこつときずいたものであった。
伊藤さんが拉致された時、1000人近いアフガンの民衆が捜索に加わったことが人々に感動を与えた。
何故なのか、何故アフガンの人々が捜索に加わったのか、そのことを考えたい。
彼の活動は、彼の死では終わらない。彼の願いは、アフガニスタンの子供達が、なみだを流さないようになって初めてかなえられる。それは軍艦に給油をすることではかなえられない。

戦場で人を殺すと言うこと

2ヶ月ぶりの更新で、書きたいことが溜まっている。
一昨日と昨日(9月14・15日)のNHKスペシャルを見てどうしても、これを書かなければと思った。
14日は「兵士はどう戦わされてきたか」
アメリカの新兵が、戦場で戦えるように改造される様子が写った。
「殺せ」「殺せ」と叫びながら銃を乱射して突進する訓練が日常なのだ。
人に向かって中々引き金を引けないが、それを効率よく慣れさせる方法を考えた研究者は勲章を受けていた。
実戦で人を殺したことがトラウマになって、銃が撃てなく兵士には、再訓練で撃てるようにして、再び戦場に送る光景も出てきた。
それでも、子供や老人を撃ってしまった兵士、は帰国してから外傷性ストレス障害で酒におぼれたり、自死を図ったりする。
ベトナムのソンミ村で、赤ちゃんを抱いた母親を撃ってしまった黒人兵士は、精神科の治療を受けながら何度も自死を図って、最後に帰らぬ人になった。
イラクの人々を助けるヴェトナムを開放すると言う使命を持った兵士ほど、ダメージは大きい。
日本の兵士にも今で言うPTSDと診断されたケースが残っている。当時では神経衰弱などの精神病でかたずけられている。
15日は「ママは、イラクに行った。」
ヴェトナム戦争の反戦デモの盛り上がりで、アメリカは徴兵制を志願制に切り替えた。
除隊後奨学金を受けられるなどの特典が魅力で、アフリカ系やラテイーノそしてアジア系の志願兵が多い。少ない勤務で、給料がいいと言う理由で、州兵に志願した女性も多い。州兵は地域の警備や、災害出動が仕事であった。
しかし、イラク戦争では、州兵も戦闘地域に送られた。
女性兵士は基本的に後方勤務であったが、イラクには前線も後方もない。
12歳のイラクの子供に銃を向けられて、撃ってしまった女性は、帰国後結婚して子供が生まれたが、育児が出来ない。
女性兵士の30%は母親であったと言う。帰国後子供と向き合えなくなった母親は多い。
彼女達はPTSD外傷性ストレス障害として処遇され、入院までするが社会復帰できる保証はない。
戦争は政治家が決断して、軍の上層部が兵士を将棋の駒のように動かして始まる。
実際に命のやり取りをするのは兵士であり、犠牲者の多くは民衆である。
殺す兵士も殺された兵士も民衆もみんな被害者である。
戦争にどんな大義も、正義も絶対にない。殺すことはどんな場合でも正当化は出来ない。
外傷性ストレス障害と診断する側は、果たして正常なのだろうか?
「殺せ」「殺せ」と人を殺傷して、国に帰れば普通の生活に戻れる、そのほうがよほど異常である。
ましてや大量に人を殺したり、効率よく殺す方法を考えて勲章をもらうなどは狂っているとしか思えない。
苦しむ兵士や女性兵士こそ、正常なのだと言う視点から見直さないと、狂ったほうが当たり前になってしまう。
アメリカの戦争に追従している日本も、「殺せ」「殺せ」と突進するアメリカ兵の責任の一端を担っていると思わなければならない。

チッタゴンの焼討ちの現状

Dear friends,
I am pleased to send three (3) photo of arson attack on seven indigenous villages committed by Bengali settlers in presence of Bangladesh military forces at Sajek union under Baghaichari upaziila (sub-district) in Rangamati district in CHT on 20 April 2008 where 76 houses of indigenous peoples were burnt down. The photo shows a burnt house.
Sincerely

ビルマ緊急支援

四川大地震があり、宮城の自信があって、ビルマのサイクロンは昔の話になってしまったようだ。
四川は既に復旧に向かっているし、宮城も緊急のレベルは超した。
しかし、ビルマは未だに緊急の時点で止まっている。
ビルマタイ国境で、20年以上ビルマ民主化支援活動をしている、ニュージーランド人の友人ステイーブから情報が入った。
いまだ100万人に上る被災者には何も支援が行き渡っていないそうだ。
チェンマイにWEAVEというNGOがある。ビルマ先住民のカレンの女性支援プログラムを持っている。
WEAVEの発足以来関わってきた。STAが衣類や布を販売するプロジェクトを始めたのは、WEAVEがきっかけの一つであった。
毎年スタデイツアーでも訪ねて、仕入れをしてくる。
WEAVEには教育プロジェクトや医療プロジェクトがある。医療プロジェクトではカレンの女医ドクターシンシアが中心になって幅広い活動をしている。2,3年前に彼女はアジアのノーベル賞といわれる、マグサイサイ賞を得ている。しかしタイが経済重視のタクシン政権になって、ビルマ軍に急接近した為、彼女は逮捕の危機に瀕した。欧米のNGOの支援もあって、逮捕は免れた。
今回のサイクロンでは彼女は32のチームを作って、現地に乗り込んだ。
ビルマに関する緊急支援は、彼女のところが最も信頼が置けるそうだ。
彼女の連絡先は www.maetaoclinic.org です。

続 ビルマはやはりそしてイスラム

80年代後半、反核反戦運動に飛び回った。その時イスラムを理解しようと、アハマデイアムスリム協会のシャーさんらを招いて話を聞いた。「キリスト教以前にイスラムが日本に入っていたら、日本の半分はイスラムになっていたでしょう。」という彼の言葉が印象に残った。
イスラムに関する情報は、英語圏を通して入ってくる。英語圏は殆どキリスト教の国々である。ということは我々日本人のイスラム理解は、キリスト教のフィルターを通したものだということである。
したがってイスラムのプラス面はふるい落とされて、マイナス面だけが入ってくる。イスラムがアラビア語で日本に入っていたら、多分随分と違ったと思う。
情報の伝わり方は、そういう危険性がある。今回はその問題はさておく。
20年以上して、再びシャーさんたちをSTAフォーラムにお呼びした。9.11でイスラムに対する関心が高まった時であった。
アハマデイアのイスラムは確かに理解しやすい。ジハードはメデイアによって「聖戦」と伝えられて、異教徒を暴力によって殲滅することだというイメージが広がった。しかしアハマデイアでは殺人を聖戦という理解は出来ないという。基本的には努力するというほどの意味らしい。
80年代私は月1回36時間の断食をやっていた。飢餓の支援をやっているのに、飢えることがわかっていない。それを体験してみなければ本当の支援は出来ないと思ったのである。24時間ではそれほどきついとは思わない。それで36時間にした。私は36時間たてば何でも食べられる。それでも36時間後は力が入らず、肉体労働はきつい。それが分かった。
アハマデイアはそれをジハードだといった。人の苦悩を知ることそれがジハードだというのである。
ラマダンという断食はやはり同じ理由で行うのだという。
そんなところで思いを共有することが出来た。
今回のセミナーで、ビルマで射殺された長井さんがアハマデイアを取材したビデオが流された。
中越の地震の被災地で、支援活動をするアハマデイアの密着取材である。長井さんはメデイアの伝えるイスラムとは違う側面を伝えたいと語っていた。
しかし、この教団はイスラムからは異端として排除されているのだそうだ。モハメッドの受け取り方の違いなどがあるようだが、詳しくは知らない。
ただ、非暴力を唱えることが異端になるとしたら、イスラムは人間の価値観に閉じ込められた小さな宗教になってしまうと思う。不殺生はどの宗教にも共通の戒であると思う。
世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアで、アハマデイアのオフィスが襲撃されたというニュースが流れた。宗教指導者は、アハマデイアを排除する見解を示したという。
世界がだんだん寛容を失っていくような気がして仕方がない。
寛容は本来絶対者の側にあるものだと思う。人間は総てどこかに限界を抱えて生きている。不完全な生き物である。不完全ながら許されて生きている。許されている側のものが許す許さないということを振りかざしているのである。
許されている事実を謙虚に受け止めれば、他を排除するなど傲慢なことは出来ない。
許されている不完全な人間は、絶対者の側には、絶対立てないのである。
セミナーで20何年ぶりに、反核運動を一緒にやった青野牧師に会った。その頃彼は教会を出て、お茶の行商をやりながら牧師として活動していた。今は教会で活動して見えるそうだ。私は逆に市井でダージリンの紅茶を売っている。