りゅう's words

りゅう・チャクマ(S.T.A.代表)が感じたこと、考えたことを自由に書いています。みなさんのコメントをお待ちしています。

分配

旧正月も、二日である。この時期タイを旅してえらい目にあった。
中国系の人が大移動をして交通機関は総て満杯。
バンコクからチェンマイへの列車は、寝台が取れないで、座席で過ごした。
チェンマイ、バンコクを座席で過ごしたのはそれで2回目だった。
通信130号の続きを考える。
中国で、社会主義体制を改革しないまま、市場を開放した矛盾が、今露呈している。
中国を訪れたのは解放直後の、1982年だった。
まだ総ての人が人民服を着ていた時代であった。
発展途上国を公言していた中国は、確かにまだ貧しかった。
その貧しさの中でも地方は、更に貧しかった。
今の中国は、間接的にしか知りえないが、あの貧しいながらあった余裕みたいな物が感じられない。
一緒に行った名古屋の港区に住むお坊さんが、港に停泊中の、中国の船員に、国で何が不足しているか聞いた。
今でも信じられないが、消しゴムだということであった。
そのお坊さんは、消しゴムを大量に持っていった。
北京市内で、朝店を見て歩いた。一般消費財の値段を見るのが目的だった。
米屋で値段を見ていた時、そのお坊さんが店の主人に、自慢げに消しゴムを出してみせた。
「これはなんだと思うか?」みたいな会話の後、プレゼントだと店の主人に渡した。
彼は頑として受け取らなかった。小気味良かった。
このお坊さん、よってくる子供に「勉強しろよ。」とボールペンを渡していた。
その頃、中国でボールペンは多分高価な物であった。そんな物を理由もなくもらう子供たちのことを彼は全く考えていなかった。
彼は多分いいことをしているつもりだったのだろう。このお坊さんは、教団のトップに上り詰めた。
もう一つ同じ頃、名古屋の農協が中国に団体を出した。
それに参加したある組合長の話である。
道に迷ってホテルが分からなくなってしまった。困って道路で遊んでいた子供に、ホテルの名刺を渡して聞いた。
子供は親切にホテルまで案内してくれた。
彼は嬉しくて子供にお礼に50元渡した。
暫くたって、子供の親が、こんな大金をもらう理由がないと返しにきた。
「中国は実にいい国だ。」というのが、彼の感想であった。聞いてて恥ずかしくなった。
50元は、その頃の教師の月給の10%ぐらいであろうか。
私の旅行中も、万里の長城の八達嶺で、日本の観光客が民族衣装を着て馬に乗るだけで50元払っていたのを見た。札びらでほっぺたを叩く姿を想像した。
その当時は個人の旅行はまだ認められていなかった。
その頃の中国は外貨を稼ぐのに熱心であった。団体旅行の我々は、暇さえあれば友誼飯店,つまりお土産やさんに送り込まれた。
山西省の碑林という博物館で、やはり最後は友誼飯店に行くコースだった。
ばかばかしくて、外で子供と遊んだ。中国人が外から中の様子をのぞいた。中からカーテンが閉められた。友誼飯店で札びらを切る、日本人の姿を、同胞には見せられないのである。
お母さんが帰ってきて、子供は5歳で劉雁之だと教えてくれた。
彼女とは今でも文通が続いている。      続く

行った年来た年

サザエさんに双子の名前が、いくとし、くるとしというのがあった。
年末は例によって、第九で終わった。昨年のN響は、クルト・マズアが振った。
彼は、ゲバントハウスを引き連れてきた時名古屋で聞いた。
彼はベルリンの壁崩壊で一躍有名になった。その前にも既に有名ではあったが。
ゲバントハウスは、チャイコフスキーの6番だった。彼の場合は、今回の第九のような曲がいい。
ソ連の崩壊から、ベルリンの壁崩壊まで、まさかと言う出来事だった。
今資本主義の限界が見えてきて、究極の価値観と言うものが見えなくなった。
ぶっ飛んだ議論と言われるかもしれないが、総ての人がそこそこ生きていく為には、仏陀の欲望を切り捨てる生き方しかないのだと思う。
程ほどの競争を認め、程ほどの格差を認めた結果が、今の状況なのだ。
欲望を認めなければ進歩はないとも言われた。進歩とはこれまた曖昧な概念である。
進歩と言うもののために得た果実があるかもしれないが、また失った物も多い。
ベルリンの壁の次に打ち壊す物は?
変な話になってしまった。
2009年は、ドラえもんの後クラシックを聞きながら越した。紅白はもう何年も見ていない。
元日は今年も久と桂そして千と過ごした。
夜は、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート。今年はフランス人の名前は忘れたベテランの指揮者だった。一昨年この楽友協会で聞いたウィンナワルツのことが蘇った。やはりその地で聞くワルツは格別だった。
さて今年はどうなるだろう。周りが危機感ばかり煽るが、それには載せられまい。
京都で学生生活を送っていたとき、名古屋の友人から手紙が来た。
大学で哲学をやりたいのに、親に反対されていると言う内容だった。
その中に「人間一人餓死するには、相当時間がかかるものです。」と書かれていた。
結局彼は、教育大に入って先生になった。今彼の飄々とした生き方を思う。

日米関係は対等か?

     
 またかという失望感に駆られる。普天間の移設問題である。
アメリカのブッシュ前政権は、白か黒か、敵か見方かという二者択一を迫った。
普天間問題でも、チェンジを唱えて政権に着いた、オバマのアメリカから同盟関係を選ぶか、政権の連立を選ぶかと迫られているという報道があった。肝心な問題がすりかえられていると思わざるを得ない。
解決しなくてはならないのは、同盟か連立かの二者択一ではない。沖縄の危険と負担を如何に減らすかということである。
普天間移設問題も、少女暴行事件を契機に盛り上がった、沖縄県民のみならず、多くの本土の民の批判があって、アメリカ軍は初めて重い腰を上げたのであった。
アメリカの政権が、アメリカ国民を守るのを第一と考えるように、日本の政権も日本の国民を守るのを第一と考えるのは当然である。
特に沖縄は、薩摩藩の武力による併合以来、太平洋戦争を含め戦後も数々の苦難を強いられてきた。過度の負担を強いられている今の基地の状況を変えるのは、日本国民の使命でもある。
アメリカ軍は、日本の安全を守っているのだといわれる。然しアメリカが守っているのは日本ではなく、アメリカだと思う。
ヴェトナム戦争や湾岸戦争そしてアフガンやイラクでも、沖縄から戦闘機が飛び立っていった。それは日本を守るためではない。アメリカの戦略の都合で、日本の土地が使われているのである。
日本は不沈空母だと言った首相がいた。空母は本土を守るための戦艦である。守るべき本土とは、日本ではないことは確かである。
ブーツでグランドに立てとか、旗を示せと日本に迫った人々が、日本でセミナーを開いて合意案を守るよう鳩山政権に圧力をかけているようだ。
オバマ政権の性急な辺野古への移設要求は、とても対等関係の国の振る舞いとは考えられない。

12月8日と言う日

毎年この日には、あちこちと思いをめぐらす。
68年前の今暁、日本は連合国相手に、戦争の道に突き進んだ。
今日の天声人語に、「戦争の悲惨さ」や「平和の大切さ」と言う言葉が空疎に響くようになったという話が載っていた。
確かに私も、その言葉で終わってしまって、その先が無くなってていると言う気がしていた。
若いお坊さんのグループが、サイパンに行った経験を話すのを聞いた。
戦局が悪化して、追い詰められた日本人は、岬の断崖から集団で飛び降りて自決した。
戦争は誠に悲惨であると言う話だったが、その後に、日本軍は少ない戦力で、圧倒的な連合国に対して、果敢に戦ったと言う話になってしまった。20代が中心のグループであった。
何故悲惨なことが起こったか、だからどうすると言う話しにはならなかったのである。
「平和」と言う言葉も、抽象的で分かりにくい。その意味を構築していく努力がないと、それは空疎なものになってしまう。
唯平和を阻害する概念は、可なり具体的である。独裁、差別、貧困、などなど。それを一つ一つつぶしていくのが、平和に至る最も具体的な道なのだと思っている。
今日はまた日本だけかもしれないが、仏陀が悟りを開いた日とされている。
成道会(じょうどうえ)という。
悟りを得ようと、五人の仲間と苦行に励んだ仏陀は、それが何にもならないと悟った。
村娘スジャータの差し出すヨーグルトで、憔悴しきった身体を癒した仏陀は、ブッダガヤの菩提樹の木陰で瞑想に入る。七日目の12月8日明けの明星とともに悟った。というのが伝説である。
悟った内容は四諦、八正道だといわれている。
人生は苦だと認識し、そのよって来る所を知り、それを滅して、正しい生き方をすればよいというのが簡単な意味である。
人生は苦であるが、佛教には苦楽一如という言葉もある。
悟れない私は、苦の中で生き、苦の中で死んでいくのだなと思っている。それはそれで現実的でいいかな。
今日はまた、ジョンレノンが、凶弾に倒れた日でもある。
そのニュースは、インドからの帰りに、バンコクの新聞で知った。
熱烈なフアンではなかったが、彼の活動は私のやっていることと重なることもあって、深い喪失感を味わった。イマジンは、般若心経だと思ったことがある。
短絡的で軽率な一人の行動が、大きな可能性を奪ってしまうことには、深い怒りを覚える。
キリスト者らが集まる、12・8の集会で、フィリッピンの留学生が声明を読み上げ、その後でたどたどしい日本語で「日本は戦争中、アジアで銃で得られなかった物を。今、経済で得ています。」と語ったことが忘れられない。

障害者

前々から気になっていたが、今は障がい者と書く様だ。昨日の朝日の夕刊では、障碍という字を普及させる活動をしている人がでていた。
障害は意味からすると、さわりがあってよくないということである。体の機能の一部にさわりがあって、充分に動けないと理解するのだろう。しかし、健常者にとっての障害と意地悪く解釈する人もないとは限らない。
そもそも「しょうがい」と言う言葉にこだわる必要はないと思う。碍でもさわりと言う意味で、積極的な意味はない。英語ではdisable(出来ないと約すのだろうか?)と言う。最近ではcharengedというようである。
直訳では「挑戦させられた」人とでも言ったらいいのか。
障害に代わる言葉を募集しているという記事をチラッと見た覚えはある。
ありったけのボキャブラリーを駆使して考えたが、なかなか思いつかない。
積極的な意味を持たせようとすると、わざとらしい言葉になるし。
誰でも年を取ればいずれは障害を持つのだから、自分の問題でもある。
私にとっては喫けいの問題だ。
人間誰しも独りでは生きられないという意味で、共生者などとも考えたが、どうもしっくりいかない。
どうも当分このことが気がかりになりそうだ。

大江健三郎氏にささやかな反論

ブログを見ていると言う方が見えると、更新してないことを申し訳ないと思う。
首相ではないので、毎日の動静を描くわけにも行かないし、意味のないことを書いても仕方がない。
書きたいこと、書かなければならないことしか書かないので、間があいて気が抜けてしまうのですね。
言い訳はとにかく。
朝日新聞の10月20日の文化欄大江健三郎氏の「定義集」は「確かな行動の為の源」と言うテーマで書かれていた。
その中でシカゴ大学教授のナジタテツオ氏の「Doing思想史」の文章が紹介されていた。
「平和はエコロジーにとっては不可欠であり、エコロジーは平和の前提だ」と述べている。
そのことには同意する。数年前なくなった盟友の鈴木了和さんは、タイの森林破壊問題に取り組んで見えた。彼は生前「環境問題は,即人権問題です。」と語って見えた。
ナジタ氏は「自然は人間の源である。然し自然は権利を持たない。」と述べてみえます。
日本キリスト教会の名古屋協会の牧師の戸田伊助さんが「日本に人権が伝えられたのは、キリスト教うによって、せいぜい一世紀前です。」と語って見えた。それに対して私は反論した。
大乗仏典の涅槃業に「一切衆生悉有仏性 草木国土一切成仏」と言う一節が有る。
生きとし生けるもの、人間はもちろん犬やネコそしてミミズだっておけらだってアメンボウだってみんなみんな仏になる可能性を認めている。しかも草や木そして無機物にも仏性を認めている。
これは人権はもちろん犬権も猫権も虫権も山権も川権も認めていると言うことだと思う。
アジアには人権を超える権利を認める理念があったのであると。
確かの自然そのものが権利を訴えることはない。然し権利と言う概念を意識出来訴えられる人間がそれを認めれば自然にも権利を持つことは可能なのではないか。自然の一部である人間にその能直が与えられたことは、自然を代弁する権利も与えられたと言うことにはならないか。
権利と言うことを人間しか認識できない以上、自然の側に立った人間がそれを訴えるしかない。
自然も権利は持っているのです。