インド
S.T.A.では、ビルマの民主化運動と少数民族の自立支援、バングラデシュチッタゴンの少数民族の支援、タイの売春と闘う女性支援、インド不可触民の支援を中心に活動してます。このコーナーでは、各国の現状とS.T.A.のプロジェクトを紹介しています。
イスランプールの女性達
イスランプールはインドの西ベンガル州の北の町である。ダージリン、シッキム、ネパール、ブータン等にいたる中継地、シリグリの西50Km にある何の変哲もない町である。名前の通り昔はイスラム教徒の住む町であったと言う。観光地ではないので、外国人もはとんど訪れることがなく、それだけに静かで総てがゆっくり過ぎていく町である。
幹線道路から少し南に行った所に、バングラデシュから移住してきたヒンズー教徒が固まって暮らす地域がある。1957年インドからイスラムの国として東パキスタンが分離独立した。71年にはベンガル人の国家としてイスラムを国教にバングラデシュが西パキスタンの統治から独立した。そうした歴史を経て、バングラデシュに取り残されたヒンズー教徒は、イスラム政権によって数々の差別を受けた。生活に困窮した彼等は財産、資格など総てをなげうって、インドに移住した。そんな人々がすむ町である。
古い友人ショポンもその一人で、彼の家を訪れたことでその町と出会った。
移民の子供はインドの子供と比較して、高等教育を受ける機会が少ない。そんな子供達のために、移民のコミュニテイの人々が力を出し合って独自の中学校を設立した。シュバシナガール中学校と言う。先生達は無報酬で、むしろ外で働いて学校の運営資金に当てていると言う。そんな情熱に圧倒されてその学校と関わることになった。
バングラデシュでは社会的に恵まれた人も、インドでは総ての資格を失ってしまった。それだけにインドでの生活は容易ではない。生活の厳しさの負担を抱えるのが、家庭で弱い立場の女性達である。
そんな女性達が、ノクシカタを学ぶことで組織作リを始めた。ノクシカタと言うのはカンタとも言って、着古した男性の民族衣装ドウテイや女性のサリーを幾重にも重ね、運針を施しておくるみや敷物に使うのである。
ベンガル民族の日常を刺繍したり、手の込んだものは芸術の域に達するものもある。このノクシカタを学び伝えることを通して女性を組織化し、自立を果たそうと言うのである。未だ一人の女性の周りに集まった、10人足らずの集まりである。何とか力になりたいと思う。
ベンガル地方は世界的に有名な麻の産地である。ロープなどビニールに押されて、麻はその需要を落とした。彼女達はそれを使って手提げ袋なども作り始めた。麻の利用法などアイデアも出し合ってサポートできたらと思う。
ブッダガヤでの教育プロジェクト
仏陀の悟りの地ブッダガヤは、仏教徒にとっては、聖地の中の聖地です。タイ寺の東にある、200戸ほどの小さな不可触民の村、ミアビハ村の住人が総てヒンズー教から仏教に改宗しました。それは、インドに於いては命がけの行動でした。
1987年初めてその村を訪れました。改宗したものの、村人の意識は殆ど変わっていないように感じられました。子供たちは、裸で泥の中で豚と遊んでいました。直感的に、教育の必要性を感じました。学校は、2Km離れたところにあります。しかし、村で子供たちは貴重な労働力です。それに、学校へ行けば、お金がかかります。村人の殆どは、労働力だけを売っている、土地なし農民です。日の出から日没まで働いて、男米5Kg女米4Kgの収入では、とても学校へ行く余裕はありません。
そこで、村の中に学校を作ることを提案しました。1989年村の中から二人の先生が生まれ、150人の生徒でお寺の集会室を利用して、学校が始まりました。学校が始まって、子供たちが変わりました。ライオンの鬣のようだった髪に、櫛が入るようになりました。女の子は赤いリボンまでつけるようになりました。子供が変わって、大人が変わり村が変わりました。
村を貫く道は、V字型でクレヴァスのようで、雨が降るとまるで川のようでした。それがきれいに整地されました。家の中で豚と一緒に生活していましたが、豚は別に飼うようになりました。なかでも、村に架かる二箇所の丸木橋が、コンクリートの永久橋に変わったことはインドに於いては、画期的なことです。不可触民の村は、どこでも掘割に囲まれています。架かっている丸木橋をはずせば、孤立するようになっています。永久橋にしたということは、自らを外に向かって解放したというメッセージにほかなりません。
カースト制度と闘う不可触民
インドは他民族・多宗教・多言語など多くの問題を抱えています。歴史的にみると、A.D.一世紀北から進入したアーリアン民族の、先住民のドラビダ族の支配から始まった階級制度が、いまだに問題の尾を引いているのです。すなわち、カースト制度です。
カースト制度は、1947年独立を果たしたとき、憲法で廃止をうたっています。しかし、その憲法の草案を作った当時の法務大臣、Dr.アンベドカルは歴史から抹殺されてしまいました。彼が不可触民出身だからです。イギリスの俳優リチャード・アッテンボロウが作った、「ガンジー」という映画にも、アンベドカルは出てきません。彼がガンジーの政治的ライバルであったにも拘わらずです。
不可触民とは、文字どおり穢れるので、触ってはならない人々のことです。ヒンズーカーストの人は、不可触民からもらった水は飲まないと言います。しかし、不可触民の人口は、20%を超えると言います。政治家にとっては貴重な票田なのです。
そうした背景もあって、不可触民の為にリザーブ制度が導入されました。つまり公務員や、学校には一定の率で、不可触民を受け入れなければならないという制度です。ただ異教徒は、カーストによる差別がないので、この制度は適用されないと言います。アンベドカルが死の直前、70万人の不可触民と仏教に改宗したマハラシュトラ州のナグプールだけは例外です。リザーブ制度に乗って、仏教徒が高等教育を受けて、質の高い生活を送っています。
カースト制度とは、いわば職能階級制度で、職業の数だけ階級があるということです。従って、カーストの外に置かれた不可触民が、既存の職業に参入することは、不可能です。カーストを超えるには、新しい職業を創設するのが、一つの方法です。I.T.関連は、一つの突破口ですが、圧倒的不可殖民は高等教育を受ける機会もなく、それも遠い夢です。
ナグプールではそれが実現しています。ナグプールから動き出した、仏教への改宗の動きが、少しずつインドを変える動きになっていくのでしょうか。

