タイ

S.T.A.では、ビルマの民主化運動と少数民族の自立支援、バングラデシュチッタゴンの少数民族の支援、タイの売春と闘う女性支援、インド不可触民の支援を中心に活動してます。このコーナーでは、各国の現状とS.T.A.のプロジェクトを紹介しています。

売春と闘う女性たち

タイに、売春と闘う女性がいます。名前はトンディーさん。彼女は普通の農家の主婦で、小学校3年課程しか出ていません。しかし、独学で大学の農業課卒業の資格を得ました。それをバネに、杜会問題に切り込み、売春婦として売られていく少女を助けるためのシェルターを自宅に作ったのです。それは売春エージェントとの命がけの闘いでした。対抗勢力から頭に銃を突きつけられた経験もあるといいます。

トンディーさんは、売春を阻止するための収入の道として、織物やアクセサリー製作のプロジェクトを村に作り上げました。チェンマイで彼女の村だけは、売春婦が一人も出ていないと言います。今は両親をエイズで亡くした子供たちのシェルターとして家を開放しています。

彼女はどこに行くのも、50ccのバイクで駆けつけます。タイの友人が、組織を作ってなぜ車をつかわないのか?と聞いた。彼女は私は飽くまで民間ボランテイアで大きな組織は必要とはしないと答えていました。彼女の活動を見た村人が自分にもできると、少女たちのシェルターを始めたといいます。そうした動きは、チェンマイ中に広がっているそうです。野菜を作っている普通の農民たちが、売春と闘いだしたというのです。

S.T.A.は、そんな彼女たちが作る織物やアクセサリーをフェアトレードすることで、活動を支援しています。

少女が売春婦になる理由

太平洋戦争でタイは、非同盟中立の立場を通しました。然し、日本軍が領土を通過することは、黙認しました。西部カンチャナブリを基点に、ビルマを目指して建設された泰緬鉄道では、日本軍の過酷な使役により、アメリカやオーストラリアの捕虜そして強制的に連行された台湾・マレーシアなどの人々に多くの犠牲者を出しました。今でも現地の戦争博物館には、その傷跡が生々しく残っています。

戦後インドシナ半島のヴェトナム・カンボジア・ラオス・ビルマなどの国々が、社会主義体制へと移行していきました。そうした地政学的状況もあり、また1970年代後半カンボジアの難民の流入もあって、西側諸国から戦略的なものも含めて、多くの支援が送られました。現在タイはインドシナ半島において、一人NIES(新興工業国家)として経済的繁栄を誇っています。それに資する日本の経済進出は、大きなウエイトを占めます。 
       
バンコク・ドンムアン空港から市内へ向かう高速道路から見える看板を眺めていますと、ここは日本かと見紛うばかりです。タイの車の90%は日本製です。日本の流行はあっという間にタイにも広がっています。タイでは一休さんやどらえもんを知らない人は、ほとんどいません。お坊さんの部屋で居候をしたことがありますが、若いお坊さんたちが大きなテレビで「子連れ狼」を見ていました。
      
1991年のスタディツアーに参加した高校生が、若しコンビニがあったら、タイに住むかもしれないと言っていました。翌年バンコクにセブンイレブンが現れ、あっという間にタイ全土に広がりました。タイ人のライフスタイルは、特に都会では、日本のそれと殆ど変わりありません。

カラーテレビ(テレビと言えば今はカラーが当たり前なのですが)携帯電話・バイク・車そしてハンバーガー。田舎にいてもそうした情報は入ってきます。しかし、農業など一次産業に従事している田舎の人々にとって、それを手に入れるのは至難の業です。農産物の収入で、テレビを買うことが出来る人などは、数えるほどしかいないでしよう。自給自足で暮らすのがやっとだと思います。テレビなどを買う現金収入を得る道は、出稼ぎか、子供を売るしかありません。タイには親のために子供が尽くすのは、当たり前と言う風潮があります。 
    
消費文明を煽る、日本などの先進国の経済進出が、田舎の人々の価値観を打ち壊していきます。農業を基盤とする北・東北タイで売春婦として売られていく少女たちが多いのは、そうしたバックグラウンドがあります。10才に満たない少女が6万円ほどで売られていく現実の責任の多くを日本が背負っています。