バングラディシュ

S.T.A.では、ビルマの民主化運動と少数民族の自立支援、バングラデシュチッタゴンの少数民族の支援、タイの売春と闘う女性支援、インド不可触民の支援を中心に活動してます。このコーナーでは、各国の現状とS.T.A.のプロジェクトを紹介しています。

バングラデシュチッタゴンで迫害され続ける少数民族

バングラデシュは、ベンガル人の国という意味で、国教をイスラムと定めています。しかし、東部丘陵地帯チッタゴンでは、少数民族モンゴロイドの仏教徒、チャクマ・ラカイン・マルマの人達が住んでいます。

1900年代初頭イギリス統治時代、そこはチッタゴン特別措置法によって、保護されていました。ベンガル人などはそこに立ち入ることは出来ず、98%が少数民族住人でした。しかし、1947年東パキスタンとしてインドより分離独立、そして1971年バングラデシュとして西パキスタンの支配から独立してから、ベンガル人イスラム教徒のチッタゴンへの強制入植が始まりました。軍隊の後ろ盾で、入植者たちは先住民の家や寺を打ち壊し、土地を奪って瞬く間に丘陵地帯全域に住みつきました。

1994年ダッカに住むブラザー・ジャラスの計らいで、私はチャクマに成りすまし、チッタゴンに潜入しました。当時そこは、軍事要塞として外人は入ることが許されませんでした。目に付く所は殆どベンガル風の家で、お寺の周囲もベンガル人の家に包囲されていました。表通りを闊歩しているのは、殆どがイスラム帽を被ったベンガル人でした。先住民の人々は、辺鄙な所で田んぼで働いたり、牛を追ったりしていました。

幸い生きてチッタゴンから帰ることが出来て、それ以来チャクマを名乗っています。三年後再び友人のお坊さんの孤児院を訪れるため、バングラデシュのお坊さんに化けて潜入しました。

入植は、家や寺の破壊だけではなく、レイプ・虐殺などあらゆる暴力を伴いました。
ノルウエーの人権団体の報告によれば、チャクマ民族60万人の人口のうち、20万人が殺されたといいます。然しこの事実は、バングラデシュ政府の言論統制によって、ほとんど海外には伝わりませんでした。虐殺を恐れて、多くの先住民が隣のインドに難民として逃れました。

1995年東インドのトリプラの難民キャンプを訪れました。8万人の人々が四つのキャンプで、インドの支援物資だけで生活していました。1998年11月先住民の抵抗組織シャンテイバヒニ(平和軍)と政府の停戦協定が結ばれました。然し、政府側は帰還難民に土地・職業・食料・安全などを保障しましたが、それはほとんど守られていません。住む場のない人々は、国内の仮設キャンプで難民として暮らしています。その上政府の分断政策により、先住民同士が争っている現状です。しかも入植者や軍人による暴力は、未だ続いています。

教育里親プロジェクト

里親プロジェクトは、バングラディシュチッタゴンからインドに逃れてきた子どもたちを支援する活動です。学校はインドにあり、スタディツアーでも毎年訪問しています。

教育を受けられない子どもたち

バングラデシュのチッタゴンでは、インドからの分離独立以来少数民族チャクマ等仏教徒等が、ベンガル人イスラム教徒に虐殺などの暴力に会っています。通信66でも書きましたが、多くの難民が隣のインドに逃れました。

子供達の証言でも聞きましたが、難民達は其処でも地域の人々の暴力に怯え、基本的な人権も脅かされています。才能に恵まれていても、子供達には教育の機会も与えられません。バングラデシュチッタゴンから逃れた難民は、東北インドのオルナチョワ、トリプラ、アッサム、ミズラムなどに仮住まいをしています。地域住民からは地域独自の環境からさまざまな抑圧を受けています。

ミズラム州は宗主国イギリスの影響でクリスチャンが多数派を占めます。チッタゴンから逃れてきた仏教徒難民に強制改宗を迫ります。アッサムは独自の文化を持ちインドからの分離独立を求める過激派が力を持っています。そうした勢力からの難民に対する暴力事件は絶えません。

チッタゴンからボデイチャリヤ学園村へ

チッタゴンからカルカッタに亡命された仏教僧ビマル師は、フランスのNGOパルテージの支援を受けて、1990年ダムダム空港の西の田園地帯に民族の生き残りをかけたボデイチャリヤという学園村を設立されました。

貧困と抑圧と言う二重のリスクの中で、7年生から12年生日本で言えば中学から高校の子供達200人が支援を頼りに学んでいます。アッサムからはバスを乗り継いで二日かかります。未だ幼い子供が親元を離れて共同生活を送る姿は痛ましいものがあります。しかし多くの子供は学ぶことに未来の可能性を見出しています。真剣に学業に取り組む姿には、怠け者の私などは襟を正してしまいます。

ボデイチャリヤの学校は今では幼稚園から12年生まであります。小さな子供は地域の住民で、近くから通ってきます。この学校は基本的にはフランスなどの支援で成り立っています。その支援が一時途切れたことがあります。その時地域から学生を集め、自立を図りました。現在小さな子供を中心に半数は外から通ってきます。

里親になるには

里親の対象は学校のホステルで共同生活を送る、難民正確には、バングラデシュの難民の子どもたちです。三分の一は女生徒です。男子は10年生までしかホステルに住めません。女子は12年生までいることが出来ます。男子は11年からは外に下宿をして通います。中にはデリーやハイデラバードと言う他の都市に出て行く生徒もいます。

一人の生徒が一年学ぶ為には、1年生から5年生で25000ルピー6年生から10年生で30000ルピー11年、12年生は32500ルピー必要です。ただし男子の場合は外から通う為11年、12年生は36000ルピー必要です。大体現在1ルピーは2,5円です。

里親プロジェクト再開のところで、ファウンダーのビマル師の概算で一人年間60000円と言う大雑把な所でお願いしてしまいました。実際にはそれぞれ生徒のおかれた状況で違ってきます。現在10年生の女の子一人11年生の男の子四人の学生がご支援を頂いています。

里親プロジェクトに関心のある方は、S.T.A.までお問い合わせください。